2017年11月05日

青山加奈〜女優の夢を絶たれたレースクイーン〜


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◆青山加奈(あおやまかな 1976年3月7日生)
 [レースクイーン/タレント]


 身長163、B83、W58、H86の抜群のプロポーションを武器に、車部品メーカー「5ZIGEN」のレースクイーンとして『永岡彩』として1997年にデビュー。その後、『青山加奈』に改名してタレント活動を開始。東京ローカルの深夜番組などに準レギュラーとして出演、飯島愛が以前所属していた「オフィスレオ」の所属だったことから、“ポスト愛”と呼ばれていた。

 1998年2月21日午前2時すぎ、宿泊先の大阪市中央区のホテルの部屋で突然倒れ、近くの病院に運ばれたが、午前4時ごろ死亡。行政解剖の結果、死因は急性心不全と判明した。彼女はもともと発熱しやすい体質で、直前に下痢症状を訴えており、数日間の休暇を取っていた。生前、将来の夢として「浅野ゆう子さんのような女優になること」と話しており、女優をめざして頑張っていた矢先だった。

 1998年2月21日死去(享年24)

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posted by 亀蔵 at 07:41| Comment(0) | 病死 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

アイリス・チャン アイリス・チャン〜「ザ・レイプ・オブ・南京」著者の死〜


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◆アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang 1968年3月28日生)
 [アメリカ・ジャーナリスト/作家]


 中国系アメリカ人。アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストン生まれ。チャンが2歳の時、一家はイリノイ州シャンペイン・アーバナに転居し、チャンは同地で成長した。

 ユニバーシティ・ラボラトリー・ハイスクールを卒業後、ジャーナリストを志してイリノイ大学ジャーナリズム学部に進み、ジャーナリズムの学士号を得る。AP通信およびシカゴ・トリビューンでの短い勤務の後、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院で学び、25歳のとき作家としてデビュー。

 1997年、日中戦争における「南京大虐殺」を扱った『ザ・レイプ・オブ・南京』を刊行。アメリカではワシントン・ポストが紙面で大きく本書を取り上げ、チャンの主張を詳細に紹介した。また、ニューヨーク・タイムズで絶賛され、同紙のベストセラーリストに10週間掲載された。

 『ザ・レイプ・オブ・南京』は、「日本軍が南京で数週間の間に一般市民約26万人から35万人を虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」などと論じたものである。しかし、あまりにも多くの事実誤認や掲載写真の誤りなどがあったため、記述内容の真偽をめぐって物議を醸した。その掲載写真が全て捏造だという批判もある。

 その後チャンは、第二次世界大戦中のフィリピンで日本軍と戦い捕虜になった米軍兵士の過酷な運命(バターン死の行進)に関する作品に取り組んでいた。しかしながらうつ病を患い、入退院を繰り返していた。彼女はカリフォルニア州サンノゼのサニーディルで夫と2歳の息子と暮らしていたが、2004年11月9日の午前9時頃にカリフォルニア州サンタクララ郡の国道17号線、ロスガトスの南で自動車の中で死んでいるのを通行人によって発見された。サンタクララ郡警察は状況証拠からチャンが銃で自分の頭を撃ったものと断定した。後に3通の遺書が見つかっている。遺書の中には、自分がCIAのような米国の政府組織からつけ狙われていて逃げ場所がないゆえの自殺だと断定した記述もあった。

 一方、精神的に追いつめられたチャンが真実を語ることを恐れた者達によって口封じの為に抹殺されたという噂もある。

 2004年11月9日死去(享年36)


posted by 亀蔵 at 07:33| Comment(0) | 自殺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

アイリーン・ウォーノス〜刑死した女性連続殺人鬼のパイオニア〜


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◆アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos 1956年2月29日生)
 [アメリカ・連続殺人者]


 ミシガン州ロチェスターに生まれたアイリーンは、不幸な子供時代を送ったといえる。父親に会ったことはないが、彼女の父親レオ・デイル・ピットマンは精神病を患い、児童を虐待した事もあったためカンサス州やミシガン州の精神病院に入退院を繰り返した。1969年、13歳の少女に対する強姦罪で有罪となり服役中に自殺した。アイリーンの母親ダイアン・ウォーノスは15歳のときにレオと結婚、キースとアイリーンの二人の子供をもうけるが、アイリーンが生まれる前に離婚。アイリーンが4歳のときに母親ダイアンは子供を捨てて出て行ってしまったため、二人は祖父母に育てられる。

 アイリーンによると、祖父は彼女を肉体的にも性的にも虐待したという。また祖母はアルコール依存症であった。彼女はかなり若い頃から複数の異性と性的な関係を持ったと語っている。相手には兄のキースも含まれていたという。14歳で妊娠した彼女は家族から縁を切られ、1971年にデトロイトの病院で子供を出産。その子はすぐに養子に出された。アイリーンは森の中の廃車の中で暮らすことを余儀なくされるが、後に未婚の母親たちのための施設に送られる。

 1971年に祖母が亡くなった後、学校を辞め、娼婦として生計を立てるようになる。1974年、飲酒運転中に車から銃を発射し、コロラドで逮捕される。その後ミシガンに戻り、1976年にはバーでの暴力行為で再び逮捕される。アイリーンは罰金を兄のキース(喉頭がんで21歳で死去)の生命保険で払い、残りの金を浪費した。同年、ヒッチハイク中にフロリダで69歳の裕福な男性ルイス・フェルに出会う。二人はすぐに結婚する。この結婚は彼女の人生を変えるチャンスであったが、アイリーンはフェルに辛く当たり、バーで暴行事件に巻き込まれるなどしたため、1ヶ月後にフェルにより結婚無効を申し立てられてしまう。

 1981年、フロリダで、ビキニ姿でコンビニエンスストア強盗を働いた容疑で逮捕。翌年刑務所に送られたが13ヶ月後に釈放。1984年にはキー・ウエストの銀行で偽造小切手を使用しようとした容疑で逮捕。1985年12月には銃と弾薬を盗んだ疑いがかけられ、11日後に無効な運転免許で運転していたために拘束された。1986年1月、重窃盗罪で逮捕。マイアミ警察は彼女が運転していた盗難車からリボルバー銃と弾薬を発見。同年、デイトナのゲイバーでティリア・ムーアという24歳の女性と出会う。すぐに恋人同士になり、一緒に暮らすようになる。ティリアはホテルのメイドの職を辞め、アイリーンが売春で稼ぐのを助けるようになる。二人の恋愛感情は1年ほどで冷めていったが、しかし信頼しあえる友人として一緒に行動し、安ホテルだけでなく古い納屋や森の中で夜を過ごすこともあったという。1987年、デイトナ・ビーチ警察は男性に対する暴行容疑でアイリーンとティリアを拘留。同年、アイリーンは無効な運転免許の保持、州間高速道路を歩行したことで召喚状を受ける。

 1988年3月、デイトナ・ビーチでバスの運転手に暴行を働いたと訴えられる。アイリーンは運転手が口論の末に彼女をバスから押し出したと主張。7月にはアパートでの破壊行為により大家から訴えられる。1989年頃には、彼女の振る舞いは明らかに常軌を逸したものとなっていく。好戦的になり、出かけるたびに誰かと口論を引き起こし、装填された銃を携帯するようになる。売春と盗みで生計を立てていたが、娼婦としては高齢であったことなどからなかなか客がつかなかったために必要最低限のものを買うのにも事欠くようになる。

 1989年、アイリーンを車に乗せたリチャード・マロリーというTV修理業を営む51歳の男性が最初の犠牲者となった。後に次々と5人の男性の遺体が見つかる。マロリーを除いた被害者は下記の通り。
・デイヴィッド・スピアーズ(重機オペレーター、43歳)
・チャールズ・キャルズカドゥーン(ロデオライダー、40歳)
・トロイ・バーレス(トラック運転手、50歳)
・ディック・ハンフリーズ(元警察署長、ソーシャルワーカー、56歳)
・ウォルター・ジーノ・アントニー(トラック運転手、60歳)
・ピーター・シームズ(キリスト教系新興宗教団体の伝道師、65歳、車は発見されたが遺体は見つからなかった)

 アイリーンとティリアは、犠牲者の一人ピーター・シームズの車を運転中に事故を起こしたことから捜査線上に浮かび、数ヶ月後に潜入捜査官の手により逮捕される。アイリーンはマロリーの件に対して、彼が彼女をレイプしようとしたためと正当防衛を主張したが、1992年に有罪判決を受ける。ティリアは警察に協力するようになっていた。同年11月にマロリーが別の州において暴力的なレイプ行為のために10年服役したことが明らかになったが、彼女に再審の機会は与えられなかった。

 1992年3月、アイリーンはディック・ハンフリーズ、トロイ・バーレス、デイヴィッド・スピアーズを殺害した容疑を認めた。6月にチャールズ・キャルズカドゥーン殺害容疑も認め、5つ目の死刑判決を受ける。1993年2月にはウォルター・ジーノ・アントニー殺害容疑も認めた。ピーター・シームズに関しては遺体が見つからなかったために起訴されなかった。アイリーンは彼女の犯した犯罪に関して、つじつまの合わない供述をしている。7人の男性を別々の機会に殺害したことを語っている。アイリーンは彼らにレイプされたと主張したが、後にその主張を撤回している。

 最初の死刑判決後、それこそが彼女が望んでいるものだと語った。2001年になると、なるべく早く死刑が執行されるようにと働きかけだした。彼女は「私はあの男達を殺して、冷酷に金品を奪った。そしてもう1度やるだろう。だから自分を生きたままにしておくのは何の益にもならない、また殺すと思うから。・・・自分は法的能力があり、正気で、真実を語ろうとしている。私は人間を憎み、また殺人を犯すだろう。」と語った。

 2002年10月9日、フロリダ州刑務所で薬物注射によって死刑が執行された。アイリーンは1976年の最高裁による死刑解禁判決以来、アメリカで死刑になった10番目の女性である。最期の晩餐は、予算2000円。 ケンタッキーフライドチキンのチキンとフライドポテトだった。2003年、アイリーンの伝記映画『モンスター』がアメリカで公開された。映画の中では特にアイリーンとティリアの関係に重点が置かれている。主演のシャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を受賞した。

 2002年10月9日死去(享年46)


posted by 亀蔵 at 16:20| Comment(0) | 刑死 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする