2017年02月07日

橘左京〜元タカラジェンヌ惨殺事件〜

橘左京.jpg

◆橘左京(たちばなさきょう 本名:矢野勝子 1906年生)
 [振付師]


 1921年、宝塚音楽歌劇学校(当時は宝塚少女歌劇団と一体であった)に第11期生として入学。翌1922年、月組に配属され、関守須磨子という芸名で初舞台を踏んだ。宝塚歌劇五十年史に、その踊りが「天才なりと称される」と記録されるほどであった。1926年に宝塚を退団。最終公演出演の演目は月組公演『花物語』『夢買長者』『寅童子』『陽春』。

 1928年に松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)へ入部。福井久美子という芸名で舞台にたっていたが、のちに藤間流の名手となり、藤間勘美を名乗って後進の指導にあたった。その後、振付師に昇格し、橘左京の名で振付した『春怨』が新宿第一劇場で公演され、日舞に洋舞感覚をいれた新しいものとして好評を得た。1939年、浅草国際劇場の『第10回東京踊り・興亜の春』を振付して、オリエ津坂、水の江瀧子らの全盛時代を築きあげた。

 1950年、43歳で結婚。相手は22歳年上の建設会社社長であった。夫は莫大な遺産を残して1964年に他界したが、本人は質素な生活を過ごし、心身障害者へ多額の寄付をするなど、慈善活動を積極的に行っていた。1969年1月5日、静岡県熱海市伊豆山七尾峠のススキ原のなかで、後ろ手に縛られ、身体をくの字に折り曲げられた絞殺体となって発見された。検視により殺害は1日前と判明したが、物証に乏しく捜査は難航。怨恨・痴情のもつれ・金銭上のトラブルのいずれかの可能性で捜査が進められたが、結局何の手がかりも発見できず事件は迷宮入り。1982年1月に時効を迎えた。

 1969年1月4日死去(享年62)


posted by 亀蔵 at 18:21| Comment(2) | 他殺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事とても参考になりました。ありがとうございます。私は、当地埼玉県比企郡小川町の歴史文化について調査研究を続けておりますが、昭和27年、橘左京師に本町のご当地ソング「小川七夕おどり」の踊りを振付していただいております関係で、以前から手かがりを調べていましたが、資料が無くあきらめかけていました。今まで「松竹歌劇団50年のあゆみ」の情報のほか、日本舞踊橘流家元橘抱舟師の高弟ということくらいしか把握できておりませんでした。誠に恐縮ですが、上記記事の元情報や文献等についてご教示くださいますでしょうか。また、上記橘左京師の和服姿の顔写真は何かの冊子(「松竹歌劇団50年のあゆみ」は上記写真の下部がカットされていますので、違うものと推定されますが))に掲載されているでしょうか、これまたご教示よろしくお願い申し上げます。
Posted by 内田康男 at 2017年02月18日 10:05
内田さま

先ほどメールにて情報をお送りしました。

よろしくお願いします。
Posted by 亀蔵 at 2017年02月18日 22:38
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