2017年04月11日

ルイジ・テンコ〜音楽コンテストでの落選に悲観し自殺〜


ルイジ・テンコ.jpg

◆ルイジ・テンコ(Luigi Tenco 1938年3月21日生)
 [イタリア・歌手]


 ピエモンテ州アレッサンドリア県生まれ。やがて養子に出されジェノヴァで育つ。ジェノヴァ大学工学部で理論物理学を学んでいる間に作曲を始め、カンツォーネ界に新風を吹き込もうとグループの一員となる。後にジェノヴァ派カンタウトーレと呼ばれたこのグループは以後のカンタウトーレたちすべてに影響を与えることになった。ジェノヴァ派はジーノ・パオリを筆頭に、ブルーノ・ラウツィ、ウンベルト・ビンディらによって形成され、ジャズやシャンソンのエッセンスを取り入れて、当時の他のカンツォーネとは一線を画していた。テンコは孤独癖のある青年で、人間の通俗性を極端に嫌ったことから報道関係者や聴衆からは良い印象を得られなかった。そのような中でも、流行にとらわれるような歌を歌わずにひたすら自分の信念を貫いた。

 1959年にジョルジオ・ガベールに「Canta」という曲を書き、リコルディ社より同年歌手デビュー。1960年にペッピーノ・ディ・カプリに書いた「Quando」が翌1961年に評判となり、テンコ自身も録音。「Il mio regno(私の王国)」、「Ti ricorderai(あなたのもどる時)」、「Angela(アンジェラ)」、「Mi sono innamorato di te(君に恋して)」などがヒットした。その後1964年にSAARレコードに移籍し、「Ragazzo mio」、「Ho capito che ti amo(愛のめざめ)」、「Vedrai vedrai」などを発表したが、ヒットに恵まれずにRCAレコードに移籍。「Un giorno dopo l'altro(過ぎ行く人生)」、「Lontano lontano(遠くはなれて)」などを残したものの、RCAには人気歌手が多数いたため、またしてもヒットに恵まれなかった。

 1966年にローマで出会ったフランス人歌手のダリダと婚約するが翌年、サンレモ音楽祭に2人で参加したものの審査員から散々な評価を受けて落選に悲観したテンコはその夜、ホテルでピストル自殺を遂げた。テンコの死を発見したのはダリダで、彼女はその後半狂乱状態となり、1ヶ月後服毒自殺を図り未遂に終わっている(1987年に自殺を遂げた)。当時、テンコの死について疑問が持たれていた。その理由として右利きのテンコが左のこめかみを撃っている点や遺書の筆跡鑑定もなされていなかったためである。40年たった2006年2月、当局が墓を掘り返し検死を試みている。

 女性歌手ウィルマ・ゴイクは、1964年にバルセロナで行われた地中海フェスティヴァルで、ルイジ・テンコ作曲の「Ho capito che ti amo(愛のめざめ)」で優勝したことがきっかけでスターとなった。彼女はテンコの死後、1967年の夏のディスク・フェスティヴァルでテンコの遺作「Se stasera sono qui(夜の想い)」を歌い、第3位に入賞した。サンレモでは毎年「ルイジ・テンコ賞」音楽祭が開催されている。

 1967年1月26日死去(享年28)


posted by 亀蔵 at 07:38| Comment(0) | 自殺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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