2017年02月23日

友田恭助〜名誉の戦死ではない俳優〜


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◆友田恭助(ともだきょうすけ 本名:伴田五郎 1899年10月30日生)
 [俳優]


 東京生まれ。中学生時代から芝居好きで、早大学生時代に新劇協会に入り、1919年同劇団の公演『ワーニャ伯父さん』で初舞台。翌年、水谷八重子らと「わかもの座」を結成、次いで第二芸術座に参加。1924年、築地小劇場の創設に参加、小山内薫、土方与志らの指導を受け、『海戦』『愛欲』『大寺学校』などに出演した。

 1925年、女優・田村秋子と結婚。築地小劇場解散後は夫人と築地座を旗揚げする。岸田國士と親しく、その雑誌『劇作』に発表された戯曲を次々に上演、若い劇作家を育てた。1937年、岸田と文学座を創立するが直前に召集令状を受けていたことから、文学座発会式がそのまま戦地への歓送会となった。同月20日に応召して赤羽工兵隊に入隊、10月6日に上海郊外の呉淞で戦死した。新聞は「名誉の戦死」と報じたが、妻の田村秋子は「役者が舞台で死ぬなら本望ですけど、何が名誉の戦死ですか!遺骨もこないのに、どうして戦死なんですか!」と怒ったという。

 1937年10月6日死去(享年37)


posted by 亀蔵 at 11:55| Comment(0) | 戦死 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする